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ラリマーについて

ラリマーとは?

英名 Pectolite
無色、白色、灰色、青色、ピンク色、淡黄色
産地 イギリス、アメリカ、カナダ、グリーンランド、スウェーデン、ドミニカ共和国、ロシア、モロッコ、チェコ、南アフリカ、バハマ
日本産 千葉県 平郡、三重県 白木、新潟県、青梅
成分 NaCa2Si3O8(OH)
結晶系 三斜晶系
硬度 4.5~5
比重 2.74~2.88
屈折率 1.60~1.63
劈開 一方向に完全


宝石業界で最も知られているものは、ドミニカ共和国産の青色(水色)のもの。

ラリマーという、現地由来の名前で呼ばれるほうが通じやすい。

本来の名称はギリシア語で「凝結する」「固結した」という意味のpektosに由来する。

化学成分上では、珪灰石に、ソーダと、水酸基が加わったものだが、成分が加わった状態であることから、このソーダ珪灰石という名がある。

ソーダとカルシウムがあり、繊維状の集合体である為「曹灰針石」という名前もある。

コンクパール、ドミニカ共和国のブルーアンバー(青色蛍光性のコハク)、そしてラリマーが「カリブ海の3大宝石」と呼ばれて賞賛されている。

近年、ブルーアラゴナイトをラリマーと偽ったものや、ガラス、ペクトライトの白色の原石を青色の染料で着色したもの、劈開した部分を含浸処理したものが流通されており、要注意である。

ソーダ珪灰石/ペクトライトは沸石に類縁の鉱物で、高度に風化された玄武岩の間隙(鉱脈や空洞)に熱水作用によって生じるのが一般的である。

バオルコ村の産状も同様だが、ただソーダ珪灰石はどの産地のものでも白色ないし灰色(無彩色)が普通で、青色(や緑色)は極めて異例といえる。青の呈色は数十ppm レベルで含有される銅やバナジウムによるものと考えられている。

緑色系の石もやはり銅が発色または変色の化学的の要因とされるが、短波長光(青~紫色スペクトル帯)の吸収率が青色石よりも相対的に高くなっているそうである。

共産鉱物は、微小な黒粒として輝銅鉱を伴うことが多い。

赤褐色のヘマタイトもよく見られ、研磨面にシダ模様(忍ぶ石模様)の現れたものがある。

ソーダ珪灰石の放射繊維状の結晶の隙間を埋めるのは、白色ないし無色透明の潜晶質方解石だという(塩酸で容易に溶ける)。

沸石類としては透明淡灰色のソーダ沸石が含まれる。

市場に出回るラリマーはほとんどが山中の初生鉱床で採掘されたものだが、小さいものはかつてバオルコ川でも採ることが出来た。

川流れの石に高品質のものが多いとされたが、彩度の高い濃い青色の石は、むしろ機械化された手法で初生鉱床の深部が掘られるようになった 1987年以降に採れたものであるらしい。

当初は露天掘りが多く、一部に過ぎなかった坑道掘りも、現在では縦坑の数が 2,000を超えているという。

多くはいまだ手掘りであるが、高品質の石を求めて地下60mくらいまで掘り進むことも珍しくなく、随分危険な作業を行なっている。

産地の細かい事情や採掘量は、ほとんど明確にされておらず、ラリマーの流通は数社の有力な業者が中心になって支配しており、供給量がコントロールされているので、宝石カット研磨職人や小売り業者が良い品を入手出来ない時期がしばしばあり、「間も無く絶産するらしい」とか、「もう良いものは採れなくなった」という噂が何度も流れている。

その度、値段は上がっていくが、実情の真相は不明である。

また、鉱物名を「ブルー ペクトライト」と記載している記事も見られるが、これも正式名称ではなく別称で、「ブルー系の色味を持つペクトライト」を、他のペクトライトと分けるために使用されている。

ラリマーの歴史

カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島は、大アンティル諸島に属する島である。
西側3分の1をハイチ、東側3分の2をドミニカ共和国が統治している。

そのイスパニョーラ島南部のドミニカ共和国バオルコ村に産する水色のソーダ珪灰石が、発見され、市場に出始めてから40年以上が経過した。

ペクトライト自体は、1828年にイタリアで発見さているが、その後、世界各地で発見されることとなるが、宝石としての価値を見いだせる石ではなかった。

実は、この地域に青い石が出ることは、すでに 1916年にミゲル・ドミンゴ・フエルテス・ローレンというスペイン人の神父が、首都サント・ドミンゴの大司教に報告し、採掘の許可を求めたが彼の意向は通らなかったとされている。

それから半世紀以上後の 1974年、ノーマン・ライリングとミゲル・メンデスが、バオルコ川の流れ込む海辺で青緑色の、水磨礫(水の流れによる撹乱の大きい場所で岩石が磨耗し、研磨されてできた礫(つぶて)。磨耗の過程で母岩が失われ、特定の鉱物が露見しているもの)を拾い上げたことにより、ラリマーの歴史がようやく動き出した。

同年11月にスミソニアン博物館のデゾーテルスらが「ソーダ珪灰石(ペクトライト)」と同定し、1975年には、ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴの宝石店で研磨石が売られていた。

紆余曲折を経て、青色のペクトライトは結果、地元に住むメンデスらがベンチャー事業に乗り出すきっかけとなる。

当初、彼らの発見した青い石は、海から上がったものと考えられており、メンデスの娘ラリッサの愛称(ラリ)とスペイン語の海(マル)に因んでラリマール(英語読みでラリマー、スペイン語表記でマールと書かれている書物は多いが、発音としては「マル」である。)と名付けた。
しかし、ほどなくバオルコ川上流の山地に初生鉱床が突き止められ、海から上がったものではないことと判明し、そしてロス・ツパデリョス鉱山が開かれた。

ドミニカ共和国の鉱産資源は基本的に国有財産であり、鉱山局から採掘権を得たものが採掘できる。

ラリマー市場が米国に拡がって大きな需要を獲得したのは 1985〜86年頃。

ラリマーを有名にした宝石商は、アメリカ人のC・マーク。
彼がラリマーのことを「カリブ海の宝石」と売り出し、ネーミングの美しさと模様の面白さから次第に人気が高まった。

その頃にはもう 100人近い鉱夫がてんでに権利を買って初生鉱床を掘っていた。
彼らは鉱山局の指導により組合を作り、バオルコ村に置かれた卸店を通してのみ石を販売した。

しかし数年後には別の事業家が、西鉱区(元の鉱区)に隣接する東部地域で長期採掘権を取得し、独立に商売を始める。
以後は販売ルートがあちこちから集まり混雑することとなってしまった。

その頃すでにメンデスらは事業から手を引いていたが、業界では彼等の名付けた「ラリマー」の名が通っている。
日本でのブレイクは、さらにその後の90年代以降になる。

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