ラリマーの歴史

カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島は、大アンティル諸島に属する島である。
西側3分の1をハイチ、東側3分の2をドミニカ共和国が統治している。

そのイスパニョーラ島南部のドミニカ共和国バオルコ村に産する水色のソーダ珪灰石が、発見され、市場に出始めてから40年以上が経過した。

ペクトライト自体は、1828年にイタリアで発見さているが、その後、世界各地で発見されることとなるが、宝石としての価値を見いだせる石ではなかった。

実は、この地域に青い石が出ることは、すでに 1916年にミゲル・ドミンゴ・フエルテス・ローレンというスペイン人の神父が、首都サント・ドミンゴの大司教に報告し、採掘の許可を求めたが彼の意向は通らなかったとされている。

それから半世紀以上後の 1974年、ノーマン・ライリングとミゲル・メンデスが、バオルコ川の流れ込む海辺で青緑色の、水磨礫(水の流れによる撹乱の大きい場所で岩石が磨耗し、研磨されてできた礫(つぶて)。磨耗の過程で母岩が失われ、特定の鉱物が露見しているもの)を拾い上げたことにより、ラリマーの歴史がようやく動き出した。

同年11月にスミソニアン博物館のデゾーテルスらが「ソーダ珪灰石(ペクトライト)」と同定し、1975年には、ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴの宝石店で研磨石が売られていた。

紆余曲折を経て、青色のペクトライトは結果、地元に住むメンデスらがベンチャー事業に乗り出すきっかけとなる。

当初、彼らの発見した青い石は、海から上がったものと考えられており、メンデスの娘ラリッサの愛称(ラリ)とスペイン語の海(マル)に因んでラリマール(英語読みでラリマー、スペイン語表記でマールと書かれている書物は多いが、発音としては「マル」である。)と名付けた。
しかし、ほどなくバオルコ川上流の山地に初生鉱床が突き止められ、海から上がったものではないことと判明し、そしてロス・ツパデリョス鉱山が開かれた。

ドミニカ共和国の鉱産資源は基本的に国有財産であり、鉱山局から採掘権を得たものが採掘できる。

ラリマー市場が米国に拡がって大きな需要を獲得したのは 1985〜86年頃。

ラリマーを有名にした宝石商は、アメリカ人のC・マーク。
彼がラリマーのことを「カリブ海の宝石」と売り出し、ネーミングの美しさと模様の面白さから次第に人気が高まった。

その頃にはもう 100人近い鉱夫がてんでに権利を買って初生鉱床を掘っていた。
彼らは鉱山局の指導により組合を作り、バオルコ村に置かれた卸店を通してのみ石を販売した。

しかし数年後には別の事業家が、西鉱区(元の鉱区)に隣接する東部地域で長期採掘権を取得し、独立に商売を始める。
以後は販売ルートがあちこちから集まり混雑することとなってしまった。

その頃すでにメンデスらは事業から手を引いていたが、業界では彼等の名付けた「ラリマー」の名が通っている。
日本でのブレイクは、さらにその後の90年代以降になる。